「人生には3の要素があると思う、何をしたいか、誰といたいか、どこにいたいか。35年前タヒチに旅行にきて現在の妻と出会い、彼女といたいと思った。そして、タヒチを好きになり、ここにいてもいい、と思った。だが、何をしたいか、はまだ、分からなかった」。
最初はタヒチ観光局に務めた。それから、80年代後半(日本のバブル時代に)に世界各地に進出していた日本のデベロッパーEIEインターナショナルのタヒチ支社のアセット・マネジャーとなった。
長銀を道連れに同社が経営破綻した際に、ベイリー氏は傘下2軒のビーチコマ・ホテルを再生、インターコンチネンタル・ホテルと提携することを皮切りに、現在、タヒチ最大のホスピタリティ事業を築き上げた。
マーロン・ブランドとは、1992年に同じアメリカ人でタヒチの妻とホテルを持つという共通項もあることで紹介された。そして、ブランドの島、テティアロアへ招待された。ブランドは、映画「バウンティ号の反乱」の撮影でタヒチを訪れ、主演女優とタヒチに惚れこみ、伝説のテティアロア島を至難の末に手に入れたのだ。
「タヒチの王はこの島を19世紀末に、治療代としてカナダ人の歯科医に譲り、60年代にはその娘が住んでいた。電話も滑走路もないので、マーロンは数時間かけてタヒチから舟でいったそうだ。ところが、珊瑚環礁で船が転覆し、血みどろになって上陸したマーロンに、老婦人は銃で応じた。彼女はマーロン・ブランドなんて知らないし、当初は島を売る気もなかったから。それを根気よく説得し、ようやく入手したと教えてくれた」
ブランドはゴッド・ファーザーでの主演料もその大半をこの島に費やしたという。最初はそこにタヒチ妻との新居を構え、ハリウッドからの友人のために数軒のバンガローを建て(ロバート・デニーロやクィシー・ジョーンズなどが長期滞在した)、後に妻がホテルとしても運営した。
「簡素なバンガローが数軒あるだけで、ホテルというよりはロビンソン・クルーソーの世界だった。蚊が多く、水も不足していた。これは根本的に作り直さなければ無理だというと、マーロンは怒って、連絡がなくなった」
数年後の1999年、突然ブランドから「ホテル開発を相談したい」と連絡があった。タヒチとロサンゼルスで何度も会い、長い話合いを重ねた。
彼は騙された経験が多いらしく、信頼関係を築くまで時間がかかったという。
「マーロンの条件は、石油ではなく再生可能エネルギーを使うこと、エアコンはもちろん5つ星ホテルの快適性を備えること、水上コテージなどは造らず自然のままの風景を残すこと、島の生態系に手をつけないこと。マーロンはなぜか八角系にこだわり、ヴィラも八角系にしろというのをようやく説得した。その代わり、彼のホテルにあったボブズバーというこの八角系のバーを再現した」
現在エアコンに使用している深海水冷却システムは、ロブスターを養殖しようとブランドが発案したものだ(ブランドは自称、発明家で他の特許も持っていたという)。これを世界で始めてベイリー氏の所有するボラボラ島のインターコンチネンタル・ホテルで1999年に実用化した。タヒチのような通年冷房を要する遠隔地に適したシステムで、ブランドの希望で普及を図かるため特許は申請していない。
「マーロンはカリスマ性と強烈なオーラがあり、プレーボーイとしても名を馳せたが、聡明な人だった。自然に対する思い入れは強く、この島に自然科学の研究所を置きたいというのも、彼の案だった。自然こそが唯一無比のアセットだという認識が、僕達の一番の共通項だったと思う」
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ボブズ・バーのカウンターで、 ベイリー氏
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砂地に建つ、ボブズ・バー
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巣立ちに備える野鳥
一見、果実のようなヤシガニ
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