ザ・ブランド、夕暮れの海辺のボブズ・バーでリチャード・ベイリー氏が語る
’マーロン・ブランド、楽園の軌跡’
By Koko Shinoda
Richard Bailey
President and CEO, Pacific Beachcomber SC
通り雨で外の緑が一段と瑞々しく艶やかに輝く。空気が甘みを孕んでいるように思うのは、養蜂場が近いからか。島のココナツの花からの蜂蜜を挟んだ自家製マカロンは、蕩けるような風味だった。ポリネシアン・タッチのミュシュラン・メニューの料理にも食欲が弾んだ。かつてこの島がタヒチの王族の避暑地であった頃、王女達はここで美白と太ることに(美人の条件だったらしい)務めたという。うっかりするとその二の舞になりかねないと、森林浴と美容を兼ねて歩くことに。
と、自転車のベイリー氏が「ボブズ・バーでね・・・」と、追い越していった。眩しそうな笑顔、Tシャツと短パンで悠然と自転車をこぐ後姿、優しい口調、数年前と変わらない。ベイリー氏にこのザ・ブランドの開発プロジェクトのことをきいたのは、4年前ポール・ゴーギャンの船上だった。タヒチ本島から70キロ、78haの島のインフラを全て整備し100%再生エネルギー、Co2排出ゼロで運営するラグジャリー・リゾート。完成すれば世界初の試みとなる。総工費は1.5億ユーロ。

開発のレポートを手がけていくと壮大なペーパー・プロジェクトは無数に出現する。大半が実現しない。ベイリー氏も、かつて生き馬の目を抜くような米国の金融界に従事していた人だが、物静かでプロジェクトを語るその淡々とした口調(デベロッパーとしては珍しい)は、反って確信を抱かせた。そして、ほぼ予定通り、この世界初のチャレンジともいえるリゾートが開業したのだ。
島内の交通機関はもっぱら自転車。ヴィラには自転車が備えられている。
マーロン・ブランドとの合意‘自然こそが唯一無比のアセット‘
「人生には3の要素があると思う、何をしたいか、誰といたいか、どこにいたいか。35年前タヒチに旅行にきて現在の妻と出会い、彼女といたいと思った。そして、タヒチを好きになり、ここにいてもいい、と思った。だが、何をしたいか、はまだ、分からなかった」。
最初はタヒチ観光局に務めた。それから、80年代後半(日本のバブル時代に)に世界各地に進出していた日本のデベロッパーEIEインターナショナルのタヒチ支社のアセット・マネジャーとなった。
長銀を道連れに同社が経営破綻した際に、ベイリー氏は傘下2軒のビーチコマ・ホテルを再生、インターコンチネンタル・ホテルと提携することを皮切りに、現在、タヒチ最大のホスピタリティ事業を築き上げた。

マーロン・ブランドとは、1992年に同じアメリカ人でタヒチの妻とホテルを持つという共通項もあることで紹介された。そして、ブランドの島、テティアロアへ招待された。ブランドは、映画「バウンティ号の反乱」の撮影でタヒチを訪れ、主演女優とタヒチに惚れこみ、伝説のテティアロア島を至難の末に手に入れたのだ。
「タヒチの王はこの島を19世紀末に、治療代としてカナダ人の歯科医に譲り、60年代にはその娘が住んでいた。電話も滑走路もないので、マーロンは数時間かけてタヒチから舟でいったそうだ。ところが、珊瑚環礁で船が転覆し、血みどろになって上陸したマーロンに、老婦人は銃で応じた。彼女はマーロン・ブランドなんて知らないし、当初は島を売る気もなかったから。それを根気よく説得し、ようやく入手したと教えてくれた」
ブランドはゴッド・ファーザーでの主演料もその大半をこの島に費やしたという。最初はそこにタヒチ妻との新居を構え、ハリウッドからの友人のために数軒のバンガローを建て(ロバート・デニーロやクィシー・ジョーンズなどが長期滞在した)、後に妻がホテルとしても運営した。
「簡素なバンガローが数軒あるだけで、ホテルというよりはロビンソン・クルーソーの世界だった。蚊が多く、水も不足していた。これは根本的に作り直さなければ無理だというと、マーロンは怒って、連絡がなくなった」
数年後の1999年、突然ブランドから「ホテル開発を相談したい」と連絡があった。タヒチとロサンゼルスで何度も会い、長い話合いを重ねた。
彼は騙された経験が多いらしく、信頼関係を築くまで時間がかかったという。
「マーロンの条件は、石油ではなく再生可能エネルギーを使うこと、エアコンはもちろん5つ星ホテルの快適性を備えること、水上コテージなどは造らず自然のままの風景を残すこと、島の生態系に手をつけないこと。マーロンはなぜか八角系にこだわり、ヴィラも八角系にしろというのをようやく説得した。その代わり、彼のホテルにあったボブズバーというこの八角系のバーを再現した」

現在エアコンに使用している深海水冷却システムは、ロブスターを養殖しようとブランドが発案したものだ(ブランドは自称、発明家で他の特許も持っていたという)。これを世界で始めてベイリー氏の所有するボラボラ島のインターコンチネンタル・ホテルで1999年に実用化した。タヒチのような通年冷房を要する遠隔地に適したシステムで、ブランドの希望で普及を図かるため特許は申請していない。
「マーロンはカリスマ性と強烈なオーラがあり、プレーボーイとしても名を馳せたが、聡明な人だった。自然に対する思い入れは強く、この島に自然科学の研究所を置きたいというのも、彼の案だった。自然こそが唯一無比のアセットだという認識が、僕達の一番の共通項だったと思う」

ボブズ・バーのカウンターで、
ベイリー氏

砂地に建つ、ボブズ・バー



巣立ちに備える野鳥



一見、果実のようなヤシガニ
アイランド・リゾートから、サステナブルなアイランド・コミニティへ
2004年、このプロジェクトの青写真が出来上がったところで、マーロン・ブランドは死去。工事は、米国東部の年金ファンドなどから資金にもめどがつき2009年に開始。陸地から70kmはなれた小島で、水、電気、道路、滑走路など全てのインフラを私企業が担うことになった。建築の建材も地元産のものか、廃材、再生可能なものに限った。
「サステナブルな投資は初期段階では通常よりもコストがかかるが、長期的には投資還元がずっと高くなる。それを機関投資家たちに実証する場としたい。また、ゲストにはラグジャリーとサステナビリティが共存することを、実体験してほしい。
投資家にもゲストにも、地球の唯一無比のアセットが、自然であることをここで確信してほしい」

ブランドはまた、タヒチの子供を持つ父として、ポリネシアの文化にも強い思い入れがあった。ベイリー氏も同様だ。
「タヒチアンは、今ここにあるものを最大限に楽しむ統べを知っている。それが、踊りや音楽、日常に溢れる笑いに現れている。ゲストにも、自然の恵みと共にそうしたポリネシア文化の一端を感じてほしい」
島の南端にあるホテルから、果樹園や菜園を抜けて北に向かうと、数人の研究者が滞在するエコ・センターと180人が暮らす従業員村がある。のどかでゆったりとした雰囲気で、夕方には音楽や笑い声が絶えない。滑走路の北側には昔のバンガローが一部残され、ブランドのタヒチの息子テイホツと工事関係者の住居がある。ブランドの面影を強く残すテイホツは、時々ゲストを海亀ツアーに連れて行くことも。このように島は単なるリゾートだけではなく、ひとつのコミニティとなっている。今年、新たに購入用のレジデンス用敷地を整備するのも、その一環だという。旅行者のためだけのホテル・リゾートではなく、ポリネシアのアイランド・コミニティを築きたいというのはブランドの願いでもあった。島では従業員らの祭事や慣習が大切にされているという。

「マーロンは海と人をぐるりと眺めながら飲める八角系のバーが自慢だった。それで、映画の雑用係で飲み友達のボブの名をつけた。彼はこの島をハリウッドからの避難場所にしていたが、晩年の10年は様々な問題を抱え体調も悪く、タヒチに来ることはなかった。でも、ここに完成したザ・ブランドにはきっと満足してくれると思う」
傾き始めた陽に水平線が蜜色を帯び、カウンターからベイリー氏は腰を上げた。パペーテまでは15分ほどの飛行だが、陽が暮れるとこの島からは飛行機も船も使えなくなる。最後に、今後の課題を尋ねようとしてやめた。今ここにあるものを楽しむというタヒチ流を尊重して。マイタイ(全て良し、の意味)をもう一杯飲んでから、樹林の中のスパで、ゆっくり四肢を伸ばして蜂蜜の香りのする・マッサージをうけよう・・・

夕暮れのバーにひっそりと現れた白人の優雅なカップルはどこか見覚えがあるような気がした。飛行機でハリウッドから7時間、今この島にはデカプリオやブラッド・ピット夫妻などのセレブが訪れている。ブランドの子供達は(認知しているだけで15人以上)毎年10日間、このリゾートに招待されている。 既に訪れた何人かは大満足で1週間滞在を伸ばしたとか。海風に紛れて切れ切れに聴こえるカップルの男性の声が、どこかブランドを思わせたのは、ブランドの一族かも・・・それともテテイアロアに散骨されたマーロンブランドの悪戯か。見上げると、野鳥の群に送られてベイリー氏を乗せたプロペラ機が薔薇色の空を飛んでいった。

従業員はこんな交通機関も




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